ポノワークを始めたきっかけ
ケアマネージャー時代に感じていたこと
高齢者介護業界で主任ケアマネージャーとして13年。
安定した仕事と報酬を捨ててまで、なぜ就労継続支援事業所で起業したのか?よく聞かれることが多い。
答えは単純、やりたいことがあったから。ただそれだけ。主任ケアマネージャーとして、要介護状態になった方の自立支援を行う。人生最期の看取りに関わる。そんな仕事。やりがいもあった。
その中で若くして脳梗塞等で要介護状態になった方、高次脳機能障害者の自立支援に苦慮していた。想像できるだろうか。一夜にして要介護状態になったからと、自分の親と同じ年代の高齢者と一緒にデイサービスにいることを・・。障害福祉施設で生まれながらの方々と福祉的就労をすることを・・・。
結局のところ、行くところはあるが、行きたいところがなく、閉じこもる。社会と隔離されていく。再出発できない方々・・そこから私の法人立ち上げの思いは強くなっていったのだが・・・高齢者介護の知識しかない・・明らかに知識不足である。何事も何も知らずして何も進まない。1年半通信教育を受け国家資格「社会福祉士」を習得。法人立ち上げに向け、1番大変だった。50代である。勉強がどれだけ大変であったか。
想像していただければわかっていただけるのではないかと思う。
社会福祉士を取得して分かったこと
話は戻るが、福祉全般の知識を身に着けた結果、脳梗塞等で後遺症が残った方、高次脳機能障害を発症した方の社会復帰の施設として就労継続支援が出来るのではないかと気が付いたのだ。
まず、就労継続支援を経験した人に現状をきいてみた。その中で「〇〇さんが障害福祉に関しての重鎮だから挨拶に言った方が良いよ。牛耳っているから」この言葉を耳にした時に、とんでもなくダメな業界であることを感じた。だいたいが、重鎮だとか、挨拶しないとならない。そう言われるのはろくでもないと思っている。
開設に至るまで他施設に関して、施設見学に行ったのは2施設だけである。それも、他業界から立ち上げた「ポトラッチ」という施設。福祉業界の影響を受けていない施設でとても明るく斬新であった。次は高次脳機能障害者支援に力を入れている「大きな木」。ここも明るくとても学ぶことが多かった。他は一切見ていないし、参考にもしなかった。
尊敬していた人との別れ
3月に心をきめてから11月の開設まで、色々な迷いや葛藤があったことは事実。主任ケアマネージャーとして働いていた
「某医院」。3人の医師がいるが、医者という地位の方が庶民に寄り添うとはこのような先生だと今でも思っている。
先生方からの学びはとても多く、離れてしまうことの寂しさが大きかった。
今でも感謝の気持ちは持っている。何かの力になれることがあったら感謝の気持ちは伝えたいと思っている。
「二兎を追うものは一兎も得ず」気持ちに区切りを付け前に進みだし、物件探し。何十件回った中で交通面、家賃などの条件で現在の場所に決めた。実際の借りたのは9月。
施設内のクッションフロア貼りはプロ並みに・・とはいかなかった
そこから内装工事などが始まる。少ない予算で済ませるためにフロアのクッション貼りは自分たちも業者と一緒に行った。出来ることは自分でやったのだ。残暑残る中でのフロア貼りは汗だくであったりしたが、準備している時はワクワク・ドキドキこれから始まる楽しみしかなかった。
次は許認可の書類作成。行政書類はわかりづらく、これにも苦慮した。何度も県庁に通い、修正、修正でようやく11月の開設に間に合ったのだ。
人員確保は今までの関係していた人が賛同し、協力してくれた。本当に感謝している。今まで頑張ってきたことが信頼となっていたのだと感じた。
ここまでは開設するまでの話し。次回はオープンしてから現在までの中で感じている業界の憤りなどを話していきたいと思っている。